2025.11.21

伊藤正徳師と後藤浩輝騎手

今週末、京都競馬場ではマイルチャンピオンシップ(GⅠ)、福島競馬場では福島記念(GⅢ)が行われる。
 今から31年前、1994年の11月20日にも、この2つのレースが同日に行われていた。
 その日、福島競馬場にいながら、京都に気持ちを向けていた男がいた。後藤浩輝騎手である。
 当時、美浦・伊藤正徳厩舎に所属していた後藤騎手が思いを寄せていたのは、マイルチャンピオンシップに出走したホッカイセレスだった。同厩舎の管理馬であり、後藤騎手が幾度も調教をつけてきた馬である。
 「自分が調教してきた馬が、GⅠでどれくらい勝負できるのか……」
 そんな思いで見ていた……わけではなかった。胸中はもっと複雑で、当時の彼はこう語っている。
 「調教では乗っているのに、レースでは自分ではないというのが悔しい気持ちでした」
 当時の後藤騎手はまだデビュー3年目で、重賞勝ちの実績もなかった。その状況を考えれば、GⅠで別の騎手が乗るのは不思議ではない。それでも若い彼には割り切れないものがあった。後に、こう振り返っている。
 「若くて実績もないのに、根拠のない自信だけはありました。だからこそ悔しかったのです」
 この日、後藤騎手は福島で騎乗していたが、そこで思わぬ幸運が訪れる。福島記念でシルクグレイッシュに騎乗する予定だった騎手が、他レースで落馬して負傷し、乗れなくなったのだ。ハンデは50キロ。騎乗できる騎手は限られていた。
 「自分なら乗れるのですが、乗ったことのない調教師の馬だったので、声をかけてもらえるように、あえて調教師の前をウロウロしました」
 その“作戦”が功を奏し、後藤騎手はシルクグレイッシュの鞍上に指名された。そしてこのチャンスをものにし、2着にクビ差をつけて先頭でゴール。後藤騎手はついに重賞初制覇を遂げたのだ。
 なお、このときの伊藤正徳調教師の判断も責めることはできない。GⅠでデビュー3年目の若手を乗せず、イギリスのダービー(GⅠ)を制した事もあるアラン・ムンロ騎手を起用するのは自然な選択とも言えるからだ。
 その後数年を経て、伊藤調教師は後藤騎手に度々騎乗依頼を出すようになる。今では2人とも鬼籍に入ってしまったことが、ただただ残念でならない。
(撮影・文=平松さとし)
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