2025.09.19

ヨーロッパの競馬場

いま私はフランスでこの原稿を書いている。8月初旬にイギリスに入国してから、フランス、再びイギリスと渡り歩き、一瞬、日本に戻ったものの、9月に入るとすぐまたフランスへ。途中で2度アイルランドを訪れたが、基本はフランスを拠点に暮らした。
 日本ではまだ猛暑が続いていると聞く。しかしこちらでは、とても信じられないほど涼しい。アイルランドやフランスでも朝の調教時や雨の日は、気温がせいぜい10度を少し上回る程度で、涼しさを通り越して寒いくらいだ。暑さに弱い馬にとっては、この環境のほうがずっと快適。ヨーロッパから競馬文化が広まったことにも納得がいく。
 文化の違いといえば、競馬場で目にする光景も日本とは大きく異なる。たとえば、フランス・ノルマンディー地方のクレールフォンテーヌ競馬場。ジョッキールームからパドックへ行くには観客席を通らなければならず、騎手がファンの間をすり抜けて歩く姿は日常の光景だ。その際、自撮りを頼まれたりサインを求められたりすることもしばしばある。同じような場面は、先日JRAで馬券が発売された愛チャンピオンS(GⅠ)が行われる格式高いレパーズタウン競馬場でも見られる。
 また、フランスのコンピエーニュ競馬場では、多くのファンが犬を連れて来ていた。大型犬もいれば、2匹連れの人もいる。犬たちはパドック脇やコースのすぐそばに寝そべっていたり、走り回っていたりするのだ。日本ではまず考えられない光景で、もし同じことをすれば大問題になるだろう。まぁ、日本では競馬場に犬を連れて入る事は禁止されているだろうから当然ではあるのだが……。そこでフランスでも注意して見ていたのだが、肝心の馬たちは犬に全く動じない。動じる素振りを見せない。それもそのはず、ヨーロッパの調教場は自然の中にあり、ウサギや鹿、イノシシに出くわすことも珍しくない。だからこそ動物への耐性が自然と身についているのだろう。
 もっと人為的なものでも違いがある。たとえば“傘”や“カメラのフラッシュ”。パリロンシャン競馬場を訪れた際、開催中に雨が降ってきた。日本だとファンエリアで傘を差しても下手をすると、糾弾されるが、こちらではパドック内でも関係者が平然と傘を差していた。しかも一人二人ではなく、あちらこちらに。さらにはフラッシュを焚いて撮影する人までいる。日本ならSNSで批判が殺到しかねない場面だ。
 もちろん、だからといって傘やフラッシュを推奨するわけではない。馬への悪影響を防ぐ努力は大前提である。しかし、同時にふと20年前の出来事を思い出すのだった。
 それは、藤沢和雄調教師(引退)の厩舎を訪れたときのこと。あるスターホースと調教師のツーショットをお願いしたのだが、夕暮れで馬房の中は薄暗く、撮影できるかどうか不安だった。そんな私の表情を察したのか、藤沢調教師はこう言った。
 「フラッシュを焚いていいですよ」
 「本当に大丈夫なんですか?」と尋ねると、当時のリーディングトレーナーは穏やかに答えた。
 「十万ものファンの前に立てば、思わぬ行動をする人に出くわすものです。過保護にすれば、そういう時に驚いてしまう。だから普段から慣らしておくことが大事なんです。うちの馬はフラッシュには驚きませんよ」
 繰り返すが、競馬場での傘やフラッシュを肯定するつもりはない。ただ、ヨーロッパで目にする光景を前にすると、藤沢調教師の言葉が胸に響く。
そして思い出す……。彼がトレセン入りする前、イギリス・ニューマーケットで4年間修行していたということを……。
(撮影・文=平松さとし)
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