2025.12.19

スポニチアネックス

奥平真治元調教師がストロングエイトと手にした大勲章

 【競馬人生劇場・平松さとし】今年も有馬記念(G1)まで、10日を切った。1956年に「中山グランプリ」の名で始まったこのレースは、第2回から創設者・有馬頼寧氏の名を冠して現在の「有馬記念」に改称された。グランプリは副題として残り、細かな改良を重ねながらも、出走馬をファン投票で選ぶという基本理念は今も変わらない。プロ野球のオールスター戦を模したこの方式は世界的にも類を見ない、独特の試みだった。

73年、ハイセイコー(右)などを破って有馬記念を制したストロングエイト(左)

 73年、この暮れの大一番を制したのがストロングエイトだ。管理していたのは奥平真治元調教師。横山典弘騎手の伯父にあたる人物だ。このコンビでは、メジロライアン(91年宝塚記念1着)がよく知られるが、奥平調教師自身は、メジロラモーヌによる牝馬3冠制覇(86年)をはじめ、数々の名馬を育て上げた伯楽でもあった。

 ストロングエイトの第18回グランプリ制覇は、厩舎開業3年目にして手にした大きな勲章だった。後年、この時のことを尋ねると、奥平元調教師はこう振り返っている。

 「当時の有馬記念は、ファン投票で選ばれる10頭に加え、推薦委員会で選定された馬が出走する仕組みでした。この年は皐月賞馬ハイセイコー、天皇賞馬タニノチカラなど、今で言うG1級の勝ち馬ばかり。ストロングエイトは無冠でしたから、出走すら難しいのではと思っていました」

 そんな中、委員の一人から声をかけられたという。

 「もし選ばれたら、出走する意思はありますか?」

 二つ返事で出走の意思を伝えたところ、推薦が決まったそうだ。

 「状態は良かったけど、相手がそろっていたのでどこまでやれるか?という気持ちで臨みました」

 結果は11頭立て10番人気をあざ笑うかのような快勝だった。

 「何とか出走させてもらえたので、期待に応えられて良かったです」

 そう述懐した奥平元調教師は一昨年、旅立った。

 今も変わらぬ熱気に包まれる有馬記念を空の上から見守っていることだろう。 (フリーライター)