2025.10.31

スポニチアネックス

海を越え懸命に走ったアドマイヤラクティへの敬意と祈り

 【競馬人生劇場・平松さとし】今週末は天皇賞・秋(G1)に加え米国でブリーダーズカップが行われる。さらにその熱気冷めやらぬうち、週明けに豪州でメルボルンC(G1)が開催される。

メルボルンCを走り終えた直後のアドマイヤラクティ(撮影・平松 さとし)

 毎年11月の第1火曜日に行われるこの競走に、14年に挑んだのがアドマイヤラクティ(栗東・梅田智之厩舎)だ。日本ではまだG1のタイトルには手が届いていなかったが、勇敢に赤道を越え、異国の地へと向かうと、同じメルボルン地区のコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドC(G1)を快勝。海の向こうで、念願のG1ホースの栄誉をつかみ取った。

 そして、その勢いのまま、続くメルボルンCに挑んだ。コーフィールドCの鮮やかな勝ちっぷりから、現地でもアドマイヤラクティへの注目度は一気に高まっていた。だが、その先に待っていたのは誰も予想しなかった結末だった。

 スタートから好位で運び、手応えも上々。しかし、最終コーナーを前にして突如、脚色が鈍る。騎乗していたZ・パートン騎手は、レース後こう振り返っていた。「良い感じだったのに、急に手応えがなくなりました。何が起きたか分かりません」。アドマイヤラクティは急失速し、最後はほうほうの体で何とかゴールにたどり着いた。結果は22頭立ての最下位、22着だった。しかし、本当の悲劇はその直後に訪れた。

 レースを終えて馬房へ戻る途中、突然苦しみ出すと到着するなり崩れ落ちた。そして、スタッフの必死の介抱もむなしく、アドマイヤラクティは静かに息を引き取ったのだ。「レース中に倒れず、他の馬たちに迷惑をかけずに逝ったラクティは、本当に偉い馬です」。梅田調教師は、震える声でそう語った。

 翌朝、彼の姿が消えた検疫馬房には、他陣営から贈られた手作りのメルボルンカップがそっと飾られていた。そこには、遠い国で懸命に走り抜いた一頭への静かな敬意と祈りが込められていた。(フリーライター)