2025.08.22
スポニチアネックス
03年仏遠征で思い出す伊藤正徳師“唯一の心残り”
【競馬人生劇場・平松さとし】

先週はフランスへ渡り、アスコリピチェーノとゴートゥファーストの2頭が挑んだジャックルマロワ賞(G1)を観戦した。結果は残念ながら、それぞれ6着、5着に敗れた。
この直線1600メートルの舞台に、日本馬が2頭そろって挑んだのは、今回が初めてではない。さかのぼること実に22年前。2003年の夏にも、2頭の日本馬が海を越え、ノルマンディー地方のこの競馬場に乗り込んでいた。
テレグノシスとローエングリンだ。結果は、前者が3着に善戦したのに対し、後者は10着に終わった。「ここを叩かれて、次は絶対に良くなりますよ」。レース後にそう語ったのは、ローエングリンを管理していた伊藤正徳調教師(故人)。2頭はそのままフランスに滞在し、次走のムーランドロンシャン賞(G1)に出走。すると、その言葉どおり、今度はテレグノシスが13着に敗れた一方で、ローエングリンは2着に健闘してみせた。
伊藤正徳師は、調教師としてエアジハードで安田記念とマイルチャンピオンシップ(ともに99年)を制覇。騎手時代にはラッキールーラで日本ダービーを勝利(77年)。調教師と騎手、双方でG1級競走を制した数少ない人物だった。
そんな伊藤正徳師が、定年の70歳で引退したのが18年。「多くの馬と人に恵まれて、幸せなホースマン人生でした」。そう語り、そしてつぶやくように言葉を続けた。
「ただ一つのことを除けば…」
その“一つ”が何であったのか、具体的に語られることはなかった。しかし、多くの人が思い浮かべたのは、師より先に世を去った弟子の後藤浩輝騎手のことだっただろう。思えば、あのローエングリンのフランス遠征も、師弟で挑んだ戦いだったのだ。
18年に引退した伊藤正徳さんは、その翌年のちょうど今頃、8月20日に鬼籍に入った。「引退後は、妻とゆっくり温泉にでも行きたいです」と語っていたが、引退からわずか1年少々で他界したのは残念でならない。果たして今年のジャックルマロワ賞を、空の上から弟子とともに見守っていたのだろうか。(フリーライター)