2025.04.30
スポニチアネックス
【追憶の天皇賞・春】89年イナリワン 武豊騎手が“絶対的な存在”であると認識させた一戦
最年少の19歳7カ月23日でG1(88年菊花賞=スーパークリーク)を制し、翌89年にはシャダイカグラで桜花賞を制した若き日の武豊騎手。

個人的な思い込みも織り交ぜて大胆に言ってしまえば、桜花賞を制したところまでは「岡部幸雄、柴田政人、河内洋、田原成貴に肩を並べる可能性を秘めた若手が出てきたぞ」というのが当時の競馬ファンのイメージだった。
だが、この89年天皇賞・春をイナリワンで制したことで、ファンは認識を上方修正したように思う。「これは凄い。武豊は騎手の概念を根本から覆すような存在かもしれない」。当時のファンの直感を代弁すれば、こんな感じではなかったか。
今も割と鮮明な映像がネット上に残っているので改めて見てほしい。20歳の武豊騎手、見事すぎる騎乗ぶりである。
18頭立ての1枠1番からスタート。道中は13番手付近で折り合いに専念した。向正面でするすると位置を上げる。決して馬を促すのでなく馬任せでの上昇。ただ、3角を前に、勾配が始まる頃には上昇をやめていた。このあたりがうまいところだ。
3角を回って下りを迎えた。ここで改めて位置を上げる。3角の上りから仕掛けていたランニングフリー、ミヤマポピーの背後で息を潜める。そして、外に進路を取った2頭とは対照的に内へと馬を向けるのだ。
京都は開幕2週目。内外ともフラットな馬場コンディションだった。コースロスなく4角を回ったイナリワンが先頭に立つ。突き放した。後方から迫る馬は皆無。5馬身差の圧勝。4番人気馬を当時20歳の武豊は完勝へと導いた。
折り合い、仕掛けのメリハリ、勝負どころで選択するコース。全てが完璧だ。「勝つ時は全てがうまくいくものですよ」と話したが、全てがうまくいくよう武豊騎手が導いたのだ。
あまりの衝撃に翌日のスポニチは裏面で天皇賞の結果を詳報。そこには先輩騎手たちの武豊評も記していた。
兄弟子の河内洋騎手は「並ぶ間もなく抜かれた。あいつ、もう少し遠慮してくれればいいのに。競馬に対して熱心に取り組んでいるのが、関東の調教師を含めた騎乗依頼につながっている」と語った。弟弟子に対する愛情、そして敬意が見え隠れする。
面白いので、もう少し読んでみよう。岡部幸雄騎手。「豊は当たりが柔らかいのがいい。夢中で乗っているうちは、それだけで勝ち星を稼げるが、そのうち壁にぶち当たる。今後はそれをどう克服するかがポイントだろう」。真っ向からライバル視している感じが岡部騎手らしい。ところで壁にぶち当たった時はあったのだろうか。武豊騎手に聞いてみたい。
柴田政人騎手は「コース取り、馬への当たり、ともに申し分ない。強運の星の下に生まれた男っていうのはいるんだね。このまま育ってほしい」。こちらは岡部騎手とは違い、目を細めて見守る派。「(同期の)福永洋一と似たムードがあるよ」とも付け加えた。
いかがだろう。イナリワンの天皇賞・春こそが、武豊騎手は唯一無二の存在である(かもしれない)と世間に認識させた一戦であるとする説。“ガッテン”はいただけるだろうか。そこから36年。唯一無二のまま、56歳の武豊騎手がターフで躍動を続けるとは、当時の競馬ファンもさすがに想像できなかっただろう。