2025.05.30

ウオッカのダービー

2007年のダービー馬はウオッカだった。実に64年ぶりに誕生した牝馬のダービー馬だった。
 半世紀以上にもわたって牝馬が競馬の祭典・日本ダービー(GI)を制することができなかったのには、当然ながら明確な理由があった。例年、日本ダービー(GⅠ)の1週間前には、同じ東京競馬場・芝2400メートルを舞台に、オークス(GⅠ)が行われる。ダービーが牡牝混合戦であるのに対し、オークスは牝馬限定戦。能力のある牝馬ほど、相手関係の楽な牝馬限定のオークスを目標にするのが自然な流れだった。つまり、そもそも論として、ダービーに出走してくる牝馬自体が極めて少なかったのだ。
 そんな中、この時点では牝馬同士の中でも抜けた存在とは言えなかったウオッカが、あえてダービーに挑んだのには、関係者たちのさまざまな思惑と、絶妙なタイミングが関係していた。
 当時のウオッカの戦績は6戦4勝。2歳時には阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を制し、JRA賞最優秀2歳牝馬にも選定されていた。しかし、直前に走った桜花賞(GⅠ)ではダイワスカーレットの2着に敗れていた。牝馬同士でも敵なしといえる実績があったわけではなかったのだ。それでもダービーを目指した背景には、いくつかの理由があった。
 まず、管理する角居勝彦調教師(引退)が、ウオッカの走りを高く評価していた。マイル戦までの内容ではあったが、時計的には同世代の牡馬にも見劣りしないと感じていた。加えて角居調教師は、2005年にシーザリオでオークスを制していた実績があった。すでにオークスは勝っている。ならば次は、ダービーを勝って“ダービートレーナー”の称号を得たいという強い思いがあった。
 そんな中、角居調教師はオーナーの谷水雄三氏にこう問いかけたという。
 「オークスかダービーか、どちらに行きたいですか?」
 これを聞いた谷水オーナーは、すぐに察した。
 「普通なら黙ってオークスに向かうはずです。それをわざわざ聞いてきたということは……角居先生はダービーに行きたいんだな、と思いました」
 その“心の声”を読み取ったからといって、即座にダービーを決断したわけではなかった。谷水オーナーにもまた、ダービーを選びたい下地があったのだ。
 「私の父(谷水信夫氏)は、ダービーを2度勝っています(1968年のタニノハローモア、1970年のタニノムーティエ)。でも私は1度(2002年のタニノギムレット)だけ。父に並びたいという思いが、心の奥底にありました」
 こうして、トレーナーとオーナーの思惑が、絶妙なタイミングで一致した。その結果、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇という、歴史的快挙が生まれたのだった。
 ほんのわずかな要素の違いが、ダービーの歴史を変える。果たして、今年のダービーにはどんな物語が待っているのだろうか。注目したい。
(撮影・文=平松さとし)

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